ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールセミファイナルもセミファイナルで佳境に入ってきました。今,亀井聖矢さんのモーツァルトの協奏曲を聴いています。
ファイナルではみなさん大曲・難曲の協奏曲を選ばれています。コンクールで人気の協奏曲はラフマニノフ2番,3番やチャイコフスキー,プロコフィエフの3番,ショパンなど,技術的にも体力的にもハードな曲です。しかも音楽をしっかり掘り下げなければならない。いろいろな条件が揃って,そして聴く人への感動を与えるということも合わせて入賞という結果が付いてくるのでしょう。とんでもない偉業です。
セミファイナルでモーツァルトの協奏曲を課すのはこのコンクールの面白さだと思います。モーツァルトの協奏曲はラフマニノフやチャイコフスキーのような技術的な難しさや派手さはありません。しかし,シンプルだからこそこわいくらい難しいのです。
私は大学時代にレッスンでモーツァルトの協奏曲に取り組んだことがあります。それまでソロの大曲を練習していたので,結構楽かと思っていたらとんでもない。音数が少ない分,ごまかしがきかない。一つでも雑な音になったらそのフレーズは汚れるくらい神経を使う。また音の連続は,清らかな真珠の首飾りくらい粒のそろった音の連鎖を求められる。ものすごい神経を使いながら,それを表面に見せないで,天真爛漫な演奏をするところにモーツァルトの真骨頂がある。
私が練習したのは20番ニ短調の有名な協奏曲です。音の少ない単音でつなぐメロディーにもすごい深さが求められる。
「そこはリヒテルのようにもっと歌って。」
と言う先生の指示に本当に戸惑いました。(私はリヒテルをなまで聴いたことがありません。)
モーツァルトが上手に弾けるのは真の天才か,純真無垢の子どもだと言う表現がありますが,その通りかもしれません。
モーツァルトの協奏曲は半端なく疲れました。でも,聴くのは大好きです。特に好きなのはハンガリーのピアニスト,ラーンキです。ラーンキのモーツァルトは音の形が美しく柔らかい。表現にてらいがなく,自然体そのもの。神の手で奏でるとするとこんな感じかなと思えるくらいです。
セミファイナルが終わればいよイオファイナル。楽しみです。モーツァルトは一体だれに微笑むのでしょう。